銀婚湯について
当館は先々代からさずかった銀婚湯という宿名のお陰で、結婚二五年目の銀婚式をお祝いするお客様からのご愛顧を特に賜っており、そのことを今日までの誇りとしております。
そもそも、上の湯温泉は落部川の中流中洲より湧出する名湯として、数百年昔から、先住民族のアイヌの人々が狩猟の折々に汗を流し、時には療養のために常浴しておりました。
蝦夷日誌によりますと、江戸時代後期の弘化3年(1846年)には松浦武四郎が浴し、初めて全国に紹介された旨の記録があります。
慶応4年(1868年)の成辰戦争の折には榎本武揚率いる幕軍の負傷者を湯治させたところ顕著なる効能があったため一躍有名になりました。
しかし、当時は熊笹で覆った無人の湯小屋で、温泉の湧出量もさほど多くなかったのでしょう。
大正14年5月10日、七飯峠下の川口福太郎が志あって中洲を開掘し、熱湯の大量湧出に成功。温泉宿建設に夢をはせたのでした。
時あたかも大正天皇銀婚の佳日に当たったため、福太郎の妻トネの発案で、自分たち夫婦の銀婚式を重ね合わせ、「銀婚湯」と命名。その後、困難もございましたが、トネの血のにじむような努力により、今日の銀婚湯の礎が築かれたのであります。
時節柄、開業当初は湯治のお客様が中心でしたが、少しずつではありますが「銀婚湯」という名の宿があることが世間に知られるようになり、今日では遠方からの銀婚祝いのご夫婦も含め、多くのお客様に足を運んでいただけるようになりました。
また、当館敷地内にはまるで夫婦のような樹木や岩が多数見受けられるため、銀婚湯に止宿すると末永く夫婦仲むつまじく幸せに暮らせる一一。
いつの頃からか、そんな嬉しい噂もささやかれ始め、近ごろは銀婚式をお祝いする方はもちろん新婚さんのご利用も増えてきています。
新婚さんと銀婚さんが浴場へと続く廊下で会釈をしあう。そんな微笑ましい光景に出会うことも少なくありません。
ゆったりとした時間の中で、こんこんとあふれる湯につかり、四季折々の彩りを眺め、旬の幸に随喜する。そんなご褒美を自分自身や苦労を共にしてきたパートナーに贈ってみませんか?
私どもも心を込めてお迎えいたします。
どうぞ、ふだん着のままでお越しくださいませ。